NPO法人E-LINKができるまでシリーズ第2段! ボリュームは調整して、短く進めて行こうかと思います。。
後編は、大学2年生を終了し、大学3年生を休学した春から乗船したお話。
3.世界一周の船旅へ
というわけで、晴れて2013年の4月、
たくさんの人に出会い、自分の目で見た国や人を伝えられる教師になるため、
世界一周の船旅に出発した。
航路は北半球、北欧周りというコースで103日間、23カ国。
僕はこれにオプションツアーでカンボジアの地雷原を巡るツアーと、アウシュヴィッツ見学ツアーも追加で取っていたので若干の+アルファ
船の中はほぼ日本人が老若男女1000人弱。乗組員の外国人たち。
要所で海外からのゲストの個人・団体が入れ替わり立ち替わり。
船の中でも、旅先でも、
人との出会いはわんさかあった。
ここに上げればきりがない程、本当にたくさんの出会いがあった。
そしてこの旅に僕は出会った人から夢を聞いて回るという目的をもっていた 。
学校で、観光地で、お店で、道端で、、
たまたま関わった人から、夢を書いてもらうために声をかけた人もいた。
世界中の人はどんな夢を持っていて、一体何を夢だと思うんだろうか。
そんなことを見て感じて、書いてもらったことをいつか学校で、子どもたちに届けたい。当時はそんな思いでした。
気がついたら100人以上の夢がノートに溢れて、103日間の長く、濃い、でもあっというまの船旅が終わった。
4ヶ月前まで、日本も出たことがなく、海外が果てしなく遠く感じていたが、降りた後は全てが身近に感じた。
デンマークで日本人に出会った。
ベネズエラで日本のアニメオタクの青年に出会った。
ラトビアで「花より男子!」と美女に逆ナンされた。
パナマの先住民の村で、「娘はフリーだから一緒にここに住めよ!」と移住提案された。
メキシコのビーチで、偶然生中継していた日本対メキシコのサッカー超アウェイ観戦もした。
ポーランドで初めて同年代の現地の人とランチタイムを英会話で乗り切った。
グアテマラで過ごした小学生たちが住む街は1日に最低でも1人は殺人事件で亡くなっている。
こんな思い出と共に、ここで出会った人たちとはSNSで繋がっている時代。
船で一周して、地球の広大さをまざまざと感じつつ、世界が一瞬にして身近になった。
そしてついに帰国。
このときの僕は、まだもちろんゴリゴリの教師を目指していた。
残りの休学期間をどのように過ごそうか。考えるまでもなく、心の中は決まっていた。
この船旅を通して出会った友達に会いに行く旅をしようと。
さすがに海外へ行く予算はないため、定期的にバイトをしながら、定期的に、日本中にいる友人たちのもとへ。
ゆったりと、人と会うためだけの旅。
それはもう、幸せな時間でした。
ーーー
4.大学復帰
旅の按配が長くなってしまいました。。留学とも、ギャップイヤーともまた少し違う、特別な1年を経て大学に戻った僕は一つ決めていたことがあった。
・無理をしないということ
旅はいつもスローだったし、目的なんかないことだってある。
なんの目的もなくても、日々を楽しく過ごしている人たちも素晴らしい。
夢はあったら素晴らしいけど、無くたって、充実した日々は送れるんじゃない?
肌感覚でそう感じていた僕は、すっかりストイックさが消えて(もとからたいしてないですが、)かなりマイペースになっていた。
・自分らしさとは。
・無理をせずに、こどもたちと関わるには?
・この旅で得た経験、どう伝える?
⇛そもそも伝わるの?
一番自分が、自分らしくいれた場所や時間はなんだろうか。。
一番、自分らしく子どもたちと関われていたときってどんなときだろうか。。
一番、子どもたちに感じて欲しいことってなんだろう。。
休学期間を経て、学校現場以外でこどもたちと関わるという選択肢もあるのでは?とたくさんの出会いを経て思い、21歳にしてやっと、他の選択肢も視野に入れ始めた時、
ゲストハウスでやってみたいな。
そんな思いが溢れ出した。
子どもたちに伝えるよりも、
子どもたちが日本にいながら、直接たくさんの大人に、旅するように自然な形で出会える場所。
そうすれば、自分自身無理なく、自分らしく、そして子どもたちがたくさんの人と出会い、世界を身近に感じられるんじゃないか。
そう考えたときには既にそのような場所があるもので。
丁度2014年、札幌に大卒の3人組が始めたゲストハウスがあると耳にしてすぐに会いに行った。
それが、ゲストハウスwaya
こんな場所で、こんなにたくさんの大人と出会いながらこどもが過ごせたら、、
そんなイメージが膨らみ、僕の大学卒業後の目標が決まった。
ゲストハウスを作る。