NPO法人E-LINKができるまで〜大学時代編(前編)〜

こんにちは、E-LINK代表の日向です。
今回から、現在僕が代表理事を務めるNPO法人E-LINKができるまで。そして現在の活動とこれからを綴るシリーズをゆっくりと綴ってみようと思います。

改めて、自己紹介から。

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日向洋喜
1992年9月2日生まれ。札幌生まれ、札幌育ち。
札幌のゲストハウスyuyuにて2017年より、世界で初めて、ゲストハウス内での学童保育「アドベンチャークラブ札幌」を開設。

2019年よりフリースクール「LIKEPLUS」も開設し、NPO法人E-LINKとしてNPO法人となり代表理事に就任。2021年、ゲストハウスyuyuの閉店と共に単独移転。「なまらツナガル」をミッションに、こどもと大人、社会がツナガルことを目的に活動を行う。

【NPO法人 E-LINKとは】

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「なまらツナガル、トカイナカを作る」をミッションに、学童保育「アドベンチャークラブ札幌」、フリースクール「LIKEPLUS」、寺子屋「おちゃのま」、親子交流、プレーパークなどを運営しながらこどもを中心に、大人や、地域、多様な世界がなまら繋がる機会を作るため活動しています。


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さて、そんなE-LINKですが、何故。どんな想いで生まれてきたのか。


僕自身、毎月毎年、様々な方々とつながっていく中で改めて、大事にしたいこと。していたこと。これからもしていきたいことを忘れないため。

そしてこれを読んでくださっている方々にE-LINKの想いを知ってもらいたく、つらつらと書き連ねていきますのでよろしくお願いします。

細かく区切っても6部構成になりそうで、、無駄に大長編となってしまいそうなため、1章ずつ、更新していきたいと思いますのでお気をつけください。(^_^;)

【目次】

  1. 大学時代編(前・後編)
  2. フリーター編
  3. 学童保育アドベンチャークラブ札幌誕生
  4. フリースクールLIKEPLUSの誕生
  5. NPO法人E-LINK誕生〜親子の居場所と寺子屋みんなの居場所
  6. そしてこれから

目次

  1. ーーー①.大学時代編(前編)
  2. 0.15歳から小学校教員を目指し始めた。
  3. 1.きっかけは東日本大震災
  4. 2.全国たくさんの学生・大人と出会う
  5. 3.世界一周の旅へ


①.大学時代編(前編)

0.15歳から小学校教員を目指し始めた。

小学校時代の先生のインパクトと、
6年生の終盤に絶縁して他中学へ渡った親友が中学生活でいじめにあっていたと知った中学3年生の後半。

約3年ぶりに親友と仲直りし、当時の先生の自宅へ遊びに行ったあの日から、僕は、他者を思いやれるクラスを作れる小学校教員になりたいと決心した。

(小6〜中2の僕はいわゆる暗黒時代であまり褒められたものではないのだけど、それもこの決意には大事な要因となっている。。暗黒時代についてはそのうちどこかで綴らせて頂きます笑)

15歳の決意からなんとか順調に進み、無事に北海道教育大学札幌校へ進学。

晴れて教師への道が現実になってきました。

1.きっかけは東日本大震災

僕が大学に入学した年は2011年4月。
大学の合格が決まり、春休みをまったり過ごしていたときに置きた3.11。東日本大震災。函館に向かっていた友人や、釧路の祖父母のエリアで洪水になっているNEWSを聞き心がざわついた。

大学へ入った僕は漠然と、「何かボランティアしたい」「こどもと実際に遊ぶ経験が欲しい」そう感じていたら大学の友人からひとつの誘いが来た。

「震災で札幌に避難してきた子どもたちと遊ぶボランティアやらない?」


ドンピシャだった。
教育大の当時3年生の先輩達を中心に設立された「みちのくKids」というボランティア団体に夏休みに参加し、3.11の傷跡を心に残しながらも無邪気に遊ぶ小学生たちに囲まれた一週間を今でも覚えている。

その後も定期的に彼らに向けたイベントの参加や運営に携わり、今の子どもとの関わり方の半分はみちのくKidsで培った。

そしてそこで僕は、「日向先生」と呼ばれる未来と同時に、「ひむ〜!」とこどもたちに小バカにされる未来も想像し始めていた。

2.全国たくさんの学生・大人と出会う


「みちのくKids」然り、当時は震災支援。がトレンドで札幌市内の大学生たちが、学年も趣味も、性格も、大学も、生い立ちも超えて繋がりが生まれて続けていて、刺激的な毎日。

当時の僕は「バイト」か「ボランティア」か、「イベント」か、それらで出会った人とひたすら飲んでお話することだけに注力していた。

15歳から「先生」だけを見て、なおかつ無意識に「先生になるなら北海道教育大学以外ない」と勝手に選択肢を狭めていた僕にとっては学外で出会う人みんなが尊敬の対象で、自己紹介をするだけでワクワクしていた。

そしてその中での先輩との出会いで大学1年生の春、世界一周の船「ピースボート」の存在を知った。それから僕は大学中のどこかで1年の休学をしてピースボートに乗ることを目指してまた色んな大学生と出会い続け、大学2年生の春に訪れた被災地では、被災地の高校生と大学生をつなげるという目的で、全国からまた刺激的な大学生たちとつながった。

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なんだこの青春の写真
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彼らからエネルギーをもらって、帰りは陸前高田から気仙沼まで8時間くらい歩いて、仙台までヒッチハイクに初挑戦して社会の暖かさも初体験だったかもしれない。(若い)



教師を目指す人、海外を旅する人、看護師を目指す人、とにかく底抜けに面白い人、人の潜在的な想いを引き出してくれる人。たくさんいた。


3.世界一周の旅へ

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大学へ入ってたくさんの出会いのオンパレードで改めて、自分が生きてきた世界の狭さを知った。

人ってこんなに、たくさんの生き方があるのか。100人いれば100通り。って綺麗事じゃなかったのか。。。


当時の自分には衝撃的で、あるひとつの思いが芽生えた。


海外旅したいなあ。。

自分が知らない世界があまりにも多すぎる。

世界にはたくさんの人がいることを伝えられる教師になりたい。

次第にそう思うようになっていて、

実際にそれを本当に伝えるためには、

世界を自分の目で見たい。

それをちゃんと伝えたい。

そのための最適な手段は?
バックパック?
スタディツアー??

そのために必要な期間とお金は?
夏休みに10数万?
何カ国いける??

行った国で自分は何ができるだろう?

漠然と、いろいろな方法を考えたときに出会った先輩が以前ピースボートなるものを、大学休学して乗ったと教えてくれた。

一度に1000人以上の人が乗っていて、色んな話を聞きながら、100日間で20数カ国を旅しながら、勉強もできる、スタディツアーもある、観光もある、友達もできる。

そう聞いた瞬間、これしかない!

と感じて、目指す旅の方法を決めた。

思いは伝染するもので、高校からの親友にこの話をすると、親友のほうに火がついたようで、大学3年生の4月に一緒に乗ることになり、そのまま1年間ん休学を決めた。

これが大学2年生の10月頃。

きっと、彼にピースボートに乗るという想いを話していなかったら。。

彼が一緒に行こうぜと火がつなかったら、、

結局僕は自分で旅に出る勇気はでていなかったと思う。

思えば震災ボランティアに参加したときも、

被災地へ足を運んだときも、

いつだって、誰かがきっかけをくれていた。
たくさんの人と繋がっていったことで、選択肢が目の前にどんどん広がっていった。

だからこそ、人と出会い、繋がることの大切を自分自身でより実感するための、

世界一周100日間、23カ国の旅。

人生初海外だった(初1人飛行機だった)

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船の出発直前、ターミナル前(若すぎて2人のポーズも何もかも恥ずかしい)

予想通り、期待を裏切ること無く最高の100日間を過ごしたこの旅がE-LINKの原点、アドベンチャークラブ札幌を始めるきっかけになる、大きな経験になった。


E-LINKができるまで…①大学編(後編)へ続く。。

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:後編内容
3.世界一周の旅へ
4.ゲストハウスwaya(合同会社Staylink)との出会い
5.こどもが集まるゲストハウスの開業を夢見る。

転載:https://note.com/himu_92/n/ne92e46dfa861

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